「嘆きの塔」「雪」「舞姫」「星座」「置物」「異類婚・異種族婚」「棺」
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「あ、雪」
窓辺を見ると、つい呟いた言葉は独り事にしてはやや大きく、まるで宙にぶらりとぶらさがったままなので、誰かがこの言葉を拾ってくれるものかとすこしだけ期待はしてみたが、この世に俺の言葉を受けてくれる存在がいないことを思い出して苦笑いがもれた。
朝方から冷え込むと思っていたら、もう世間では冬らしい。
世界を覆いつくそうかというほどの貪欲で、重々しい灰色の雲が空を支配して、そこから白い礫を降らせている。寒さに身を震わせながら俺は珈琲を淹れるために億通ではあるが身を動かした。キッチンで珈琲をいれていて、気がついた。
そして舌打ち。
家の中――といっても狭い馬小屋を探す場所なんてない。つまりは外だ。
俺は
コートを手にとって外へと出た。
外に出ると寒さが、ますます身に沁みた。目を伏せてはぁと息を吐く。白い息。肺一杯の冷たさをそのとき、イヤと言うほどに感じる。
「サラ、どこだ」
サラはとても美しい舞姫だった。舞姫と言う言い方は、いささか嘘がある。サラは男だからだ。性別を偽ってまで酒場で男相手に踊り、そして賭けに生じては勝っていたサラ。彼女――身は男なのに、彼は自分のことを私と称した。なんでも生まれたとき、性別をきっと間違えてしまったね、というのが彼女の、彼の証言で。彼はときどき酒場で踊っていた。歌は歌わないらしい。俺は一度だけ彼女の歌声を聞いたことがある。美しいとはいいがたいが、下手ではなかった。歌えばいいのに、サラ。そういうサラは笑った。だって歌は大切なものでしょう。私のジィル。俺はサラのもったいぶった言い方を好んだ。サラはいつも酒場で踊って、それは大胆で卑猥でいびつで、彼女はそれを
芸術だといっていた。だから見せることは恥かしくないといっていた。店はいつも薄暗くて、サラが男でも女でも客たちは気にしなかったのだ。俺はいつも、そんなサラに目を向けた。なぁ。サラ。俺たちは双子の正座なんじゃないのかい。なぁに、それ。俺はお前で、お前は俺なんだよ。サラ。愛しいサラ。俺は彼女の手をとって誘った。
正直に言おう。俺はサラを抱きたかっただけだ。
彼女の男である体にセクシーな仕草、そして陽気で笑う顔と薄緑の染めた髪に引かれたのだ。そう。ただたんに
セックスしたかったのさ。
その日、犯されたのは俺のほうだったがね。笑えない話だよ。ほんとうに。なんてやつだ!
サラと来たら! なんてあばずれ。なんて淫乱! アア、クソ。ファック! そんな下品な言葉で罵っても罵ってもたりないほどに素敵だったのさ。
「素敵だったよ」
「お前はサドだったんだな。サラ」
俺は手首の痛みをこらえきれずに枕を投げつけてやった。サラはからからと笑って俺の攻撃を避けてしまった。
「まっさか。お前がむかつくから、ちょっといじめただけだろう。お前のそのプライド、嫌いだね」
サラは俺のプライドを引き裂き、そして丁寧に
皮膚をひきはなすと、血肉に辛子をぬりつぶすように、俺の心をズタズタに引き裂いた。あんなにかわいい顔をしながら俺を
ベッドではこけにし、今だってこけにした。
「この家は俺のだぞ」
「ああ、しってるよ。かわいいジィル」
「てめぇ、態度でかいんだよ。サラ」
「お前よりはマシさ。かわいいジィル」
「そのいいかた、やめろよ」
「かわいいジィル」
くっくっとサラが笑いながら俺の投げた枕をひょぃとかわした。
ダンスは得意だよ。かわいいジィル。ほらほら、それではあたらないよ。ジィル。そういってたん、たん、たたん、と踊ってみせる。サラ。俺は投げるものがなくなってベッドを叩いた。
「お前はいったな。かわいいジィル、私たちは、双子だって。そうさ、星座なのさ。私たちはだから、求め合って憎みあう。素敵じゃないか。それ」
「どういう意味だ。サラ」
「口説いてるのさ」
「バカじゃないのか。お前なんて見た目は置物みたくきれいだけども、そのくせすごいむかつくんだ。出て行け」
「はいはい。じゃあな。かわいいジィル」
俺とサラはセックスしたその日に喧嘩別れしたわけだ。けれど俺はサラのいる酒場に通っては、いつもサラのことを見ていた。サラのダンスが好きだったからだ。サラの足、サラの腕、サラの肉体がすきだった。見ているときはあんなにも愛しいのに、夜は愛せるのに。どうしても昼間になると、こいつを殺したほどに憎んでしまう。サラは俺の心を弄ぶ天才だからだ。そうだ。こいつにとっては俺もカードと一緒。負けるか、勝つか。だから楽しくて遊んでいる。弄ばれるのはいやだから、俺は弄ぼうとしているのに。仕掛けた
ゲームに逆に負けていく。そうだ、ああ、
そうだよ。サラ。お前が好きなんだ。
サラが俺の前で他の客の膝にのって笑う。俺のことを笑っている。俺は立ち上がった。サラの腕をとる。サラが俺のことをみた。そして、そのままキスを送った。客のことは殴っておいた。そうしたら、思いっきりボディガードによって殴りまくられて、一ヵ月店に出れなくなった。サラは大笑いして、俺のことをベッドに連れ込んだ。
「かわいいジィル、ああ、血まみれじゃないか。かわいいな。ジィルは」
「うるさい。このサド。変態。お前なんて、お前なんて」
「かわいいジィル。私の勝ちね」
「ああ、そうだよ」
そのまま俺たちは唇を重ねたわけだ。そうだよ。この勝負。はじめから勝ち目なんてなかったのさ。哀しいというか、不毛というか。サラは笑いながら俺にいったね。勝ち目のない賭けなんてするわけがない。そうさ。勝てるからやるんだ。ばかだな。ジィル。私が女装してダンスするのも、それは客にはばれないから。ばれたのはジィルだけだったよ。その点ではお前は私に勝ったから、いいじゃないか。ねぇ、かわいいジィル。
俺たちは一緒に暮らし始めた。
まるでその場にあったかのように暮らし始めて、俺はすぐに嫌気を覚えた。負けたことが悔しかったといえば、それだけだ。俺はサラにもうやめようといった。いいよ。かわいい、ジィル。そういってサラは俺のことを引きとめもしなかった。そのあと半年もたたずに俺はサラのいる店にいった。そこで俺は一人じゃなかった。かわいい女の子を連れていた。肩を抱いてキスをしたが、サラは俺のことを一度もみなかった。見ずにダンスを踊った。その作り物めいた微笑みは変わらなかった。俺はそのあと、その女の金をちょろまかして逃げた。その女の男だというヤクザからも追われた。殴られたが、命はある。俺はサラのアパメントに逃げ込んだ。一度捨てて、そしてまた戻ってきた厄介な俺をサラは笑って招いた。珈琲を飲ませてもらい。そのあと、サラは
ソファで寝た。俺はベッドで三日ほどは唸り続けて、そのあと、からだが回復したのにサラとベッドで寝ないのかと尋ねた。サラはソファがあるといった。二人には小さないソファがいるから、いらない。俺はサラがいない間にそのソファとベッドをくっつたけ。仕事から戻ってきたサラは大笑いして、俺と一緒に寝た。
話を戻そう。
俺はサラを探している。俺のサラは消えた。今度は俺ではなくて、サラが。俺はヤクザに追われていた。それをサラはかくまっていた。そのせいでサラはヤクザに見つかった。サラがどういう目にあったのかは俺は知らない。断片的にしか。ただ、サラはそれはひどいことをされた。足の腱を切られた。逃げないように。それでもサラは逃げ切った。みんな彼女の強さを知らなかった。または彼女は人を騙して勝つ天才であることを知らなかったのかもしれない。サラは俺のところにかえってきた。笑った顔と血。それだけが俺の胸をしめつけた。俺はどうしようもないろくでないしだよ。サラ。俺を殺して欲しい。サラの夢と希望を奪ったから。なぁサラ。
ばかだね。ジィル。お前は殺す価値だってないんだよ。私のかわいいジィル。ろくでなしのジィル。かわいいジィル。
サラの傷の手当をして、俺はどうすればいいのかわからなかった。わからずに寝て、起きて。今になる。サラはどこだろう。家から出て、すこし歩いたところに公園があった。この邦の名であり、存在であり、唯一の信仰の象徴である女神――リディアの像の前にサラがいた。
「サラ! どうしていなくなったんだ。そんな体で」
「体は昔から丈夫だったからさ」
「あのなぁ」
「なぁジィル」
「寒いから、とにかくコートを」
「俺と
結婚してくれ。かわいいジィル」
「……熱でもあるのか。サラ」
「俺は本気だぜ。ジィル。かわいい俺のジィル。俺は女を殺されちまった。お前のせいでな。だからジィル。お前もそろそろ捨てろよ」
「なにを」
「男を。それとも、その腹の子を捨ててまで男になりたいのか」
「なにいってんだ。俺は」
「もう俺は私なんていわない。サラは死んだからだ。舞えない舞姫はいらないからな。お前がどうしても男になりたいなら、その盗んだ金を持って消えてまえ。なのにお前は迷った。腹の子をどうするのかで」
「サラ」
「かわいいジィル。どうする」
「……」
「俺と棺にはいらないのか? ああ、結婚したら、もう墓場か。それはいやだな。まぁいきながらの棺も、それはそれで楽しいかもな。なぁかわいいジィル」
「……俺は男になりたい。女なんてまっぴらだ。犯されるし、かわいいかっこうすると、化粧臭い、弱いし、わがままだし、くそだし。ああ、いまいましい」
「で、どうするんだ。かわいいジィル」
「……お前の勝ちだよ。サラ……私の負け」
私が負けを口にすると、サラはくっくっと喉の奥から笑いをこみあげた。殴られて赤黒い顔をした彼は私の手をとった。
「女神リディアよ、あなたが封じられている嘆きの塔からわれらを見下し、祝福したまえ」
彼は私の手に紳士のようにキスを送ったあと、笑った。
「俺は負ける賭けはしないのさ。かわいいジィル」